もうひとつ、書きたい事があるので、
「あるのまま その2」です。
最近受けたアヌサラヨガの先生のブログから
こんな素敵な言葉を見つけました。
自分自身をー自分にも他人にもー定義することはやめよう。
定義をやめても死にはしない。それどころか生命を取り戻す。
それから、他人があ なたをどう定義するかを気にするのもやめよう。定義する人は自分自身を制約しているのだから、それはその人たちの問題だ。
人々と付き合うときに は、機能や役割であるよりも、意識的に「いまに在る」場として向き合おう。
~エックハルト・トール~
定義をやめても死にはしない。それどころか生命を取り戻す。
それから、他人があ なたをどう定義するかを気にするのもやめよう。定義する人は自分自身を制約しているのだから、それはその人たちの問題だ。
人々と付き合うときに は、機能や役割であるよりも、意識的に「いまに在る」場として向き合おう。
~エックハルト・トール~
この前、ブログに「固定観念にしばられてて〜」に通ずるものがあります。
てか、私に通ずるものがあります。てへ!
小学校高学年から中学卒業まで
いじめを受けた事がありました。
大人になってからも20代前半はそれを引きずってました。
てか、「あの人たちのせいで中学校は最悪だった!」って思ってました。
で、あの頃の経験を恥じてました。
あの時は認められなかったけど、
今は自分にもいじめられる要素がありました。
みんなに好かれたい!って気持ちも強かったし、
なのに空気読めてない。。。みたいな。
そして、「こうじゃないと!」って固定概念にしばられ、
自分が辛い。。。マイナス思考のできあがり。
今は年齢が思春期並に微妙なので
結婚やら子供やらそういう固定概念にぶつかります。
固定概念に縛られなくなってきたら
「あるがまま」に生きられるかも。
ってこの先生のブログを見て思いました。
大学時代に私が辞めた事のひとつが
女性誌、ファッション誌を買わなくなったこと。
(立ち読みはしちゃいます。。。すんません)
買う買わないは個人の自由ですよ。
私の考えは
ファッション誌とかって
「女性は○○であるべき」って
定義しちゃって、
女性(全員ではないですが)縛られてしまうと思うんです。
これはあくまでも、私の考えですが。
大学時代の女性学の先生が
「女性誌とかファッション誌はプロパガンダ!」
と講義中に言って、驚いたのを覚えてます。
確かに!
雑誌の後ろにうんざりするくらいの
整形とかダイエットの広告。
ダイエットの特集。
「女性は細い方が良い」
ってプロパガンダだと私は思います。
「あるがまま」に生きるって難しいな。
でも、それが出来たら素敵だな。
私は私の「あるがまま」を
愛してくれる男性を探します!
フフ!
この方はいつも「あるがまま」。ある意味お手本です。
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